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淵を越えさせる赦し ②

Rev. Tsukasa Sugimura

と切り出すと、おじさんは、「おおそうか、結婚することになったか! 良かったなぁ。まあ、色々とお前の家とはあったけど、お前はお前の人生を幸せにやってくれな」ととても優しく言われました。過去の恨み言は一切出ませんでした。おじさんの態度と言葉で、ボクはそれまでずっと重くのしかかっていた重荷から解放され、もう後腐れはないんだと感じ、赦されたと思いました。行く前は迷ったけど、行って本当に良かったと思いました。ぶん殴られ絶縁されることまで想定して行っていたので、そのあまりのギャップに驚き、涙が止まりませんでした。それまで険悪な関係で避けていた存在のおじさんが、一気にその日を境にもう足を向けて寝れない人に変わりました。その後、おじさんが亡くなるまで良好な関係が保てたことは、今でもボクの人生の中での大きな良き思い出です。赦しというものにはものすごいパワーがあるなと思いました。

 聖書には、神は我々人間を愛しているが故に、イエスを地上に送り、人類の全ての罪、神に対する負債をイエスに被せてイエスを十字架にかけることによって、ボクらを赦そうとされたとあります。神が我々人間を「愛している」と言っても、なかなかピンと来ないかも知れませんが、神ご自身が犠牲を払って、我々人間を「赦そうとしてくれている」なら心に響くのではないでしょうか?

 「淵(フチ)」という単語があります。淵とは「水を深くたたえている所」や、「容易に抜け出られない苦しい境遇、苦境」という意味です。苦境を「絶望の淵」と言ったり、死の直前のことを「死の淵」とも言います。「淵」という漢字の、さんずい(水に関わる部首)の右辺を拡大して見て下さい。左岸と右岸の縦棒の間には何がありますか? このギャップを埋めている十字架が見えませんか? そして、その十字架の上に左右に引かれた一本の横線がありますよね。

ボクら人間が、こちら側から天国までの淵を越えるには、神が犠牲を払い赦して下さった十字架を踏みながら、この一本道を行くしかないんです。我々人間が、天に行く唯一の方法は、神が与えて下さったこの十字架の赦しを、ただ受け入れるだけです。善行ではありません。どうか神に対して疎遠になっているならば、一度神の所に行ってみて下さい。一気に神との関係が変わりますよ。

 
 
 

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