二〇二三年の夏季修養会は「教会」というテーマでした。そこで最初の夜の聖会から、タイトルは「すべてをそぎ落とされても残るもの」から証しします
それは、マタイの福音書一六章に記されたペテロの信仰告白に始まります。イエス様から「あなたがたはわたしをだれだと言いますか」と問われた時、ペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答えました。するとイエス様は「あなたはペテロ(ギリシア語で「岩」の意)です。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」と言われました。イエス様は、「ペテロよ、あなたのこの信仰告白の上にわたしは、わたしの教会を建てよう」と仰ったのです。
しかし、この後々語り継がれるこの信仰告白の内容を、実はペテロ自身よく理解していませんでした。というのも、この直後にイエス様が、ご自身がやがて多くの苦しみを受けて十字架に殺され、そして三日目によみがえるべきことを弟子たちに告げると、ペテロは「主よ、とんでもない! そんなことがあなたに起こるはずがありません」とイエス様を諫め、逆にイエス様から「下がれ、サタン」ときつくお叱りを受けたからです。ペテロは自身が期待する救い主のイメージ、つまり、ローマ帝国の支配下からユダヤを救い出し、かつての栄光を取り戻してくださる救い主像をイエス様に押し付けていたのです。
そんな弟子たちの、救い主への間違った期待が完全に打ち砕かれたのが、イエス様の十字架前夜です。役人たちに捕らえられ、縄で縛られ裁判にひいて行かれたイエス様。その時、ペテロはそこにいた人々から「お前もあの人の仲間だろう。一緒にいるのを見たことがある」と言われると、「そんな人は知らない!」と呪いまでかけてイエス様を否定したのです。つい少し前まで、「あなたのためにはいのちをも捨てます」とイエス様に言ったその舌の根も乾かぬうちにです。けれども、ペテロの頑張りや思い込み、一番弟子であるという傲慢と誇り、救い主への間違った期待などがすべて打ち砕かれ、自らの弱さや愚かさを知り、自分こそがどれほど神さまの憐みと赦しを必要としているかを思い知らされる体験が教会の土台となったのでした。岩は岩でも砕かれた石だったのです。それが本来の教会のあるべき土台だとイエス様は言いたかったのです。
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