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お隣さん

Rev. Tsukasa Sugimura

 3月17日火曜日のことだ。窓のブラインドを上げて目の前の通りを見ると、お隣さんの軽トラックがまだストリートに停まっている。その日はスイーパーが午前10時頃に廻ってくるので、それが来る前までには動かすのだろうと思っていた。彼らは一ヶ月ほど前に隣家に移ってきたのだが、その最初の火曜日に彼らはチケットをもらったので、その次からはきちんと車を移動させていた。ところが、今回は動きそうもない。いよいよスイーパーが来る時間になったので、僕はそれを知らせようと思い、自宅のガラージドアを開けると、スイーパーがすぐ近くの通りまで近づいて来ている音が聞こえてきた。大急ぎで隣に走ってベルを鳴らすが、応答がない。何度目かのベルでやっと玄関ドアが開いたので、「スイーパーが来ている!」と叫ぶと、「オー・マイ……」ときた。すぐに出て来て車を動かすのかと思いきや、どういう訳か出てこない。スイーパーはすでに通り過ぎ、その後に、駐車違反取り締まりの車が続き、駐車したままの隣の車の後ろにピッタリ停まった。もう間に合わない、チケットが切られてしまう、と思った瞬間、やっとお隣さんが出てきて車を移動したのだった。

 一部始終を見ていた僕は、チケットをもらってしまったお隣さんを気の毒に思ったのだが、まもなく拙宅のドアベルが鳴った。そこに隣のジョンが立っていた。彼は仕事で背骨を損傷し今は引退して家にいる。彼は「チケット代をセーブできた!どうもありがとう」と言ってきた。「チケットはもらわなかったのか?」と尋ねると、もらってないという。彼は車を動かす時に、そのオフィサーに、「勘弁してくれ、移って来たばかりで、うっかりしていた」とか何とか言ったのであろう。それを聞いて僕はサイプレス市の寛大さに安堵したのだった。

 聖書で最も大切な教えの一つが、「あなたの隣り人を愛せよ」(マタイ一九・19)である。だが、ロシアにせよ、世界の紛争地域の国々にせよ、そして、ここアメリカも例外ではない。哀しいかな、それが人の罪であり、人は本来、神の教えには従えないのである。だからこそ、自国ばかりではなく、私たちの隣国こそ祝福してくださいと神に祈りたいものである。引っ越してきたばかりのお隣さんに、何かしらキリストの愛が届くようにと切に祈るものである。

 
 
 

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